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the Canadian Club(ザ・カナディアン・クラブ)は日本のメロディック・ロック・バンド。2003年、岐阜県中津川市にてギターボーカルの志津利弘とドラムボーカルの桂川知也を中心に結成し、地元や名古屋、岐阜を中心に活動。2008年11月にはインディーズレーベルである''CLOUD RECORDS''よりCDデビューを果たした。また、音楽プロデューサーは元plastic soul amandaのギタリストでもある横井泰彦。 == 略歴 == 2002年8月、地元の自動車学校で当時別のバンドでギタリストとして活動していた志津とドラマーの桂川が出会い、音楽の趣味も似ていたことから意気投合、後にバンド結成のきっかけとなる。 2003年12月、志津のバンドが解散し、桂川に新たなバンド結成の話を持ちかけ、志津のバンドでベースを担当していたヒデオを迎え3ピースバンドとして「CANADIAN SNATCH」を結成、創作活動を開始。 2004年4月12日に地元・中津川BREATHにて初ライブ。京都の浴衣バンド鴨川のオープニングアクトを務める。同年7月より活動拠点を名古屋にも広げ、精力的にライブ活動を行うが、2005年4月にバンドは一時活動休止することになる。 2006年5月、新たに4人目のメンバーとしてYU-SAKU(ギター)が加入し4人編成となるが、同時にヒデオ(ベース)が脱退。サポートベーシストとしてSHOJIを迎え、初の音源制作を行う。翌月より名古屋・栄の野外イベント出演(後に定期的に出演)、3曲入の1stデモCDを発表。同年9月、tricolore entertainment主催のスノーボードDVD「enbition」に楽曲参加。サポートのSHOJIが脱退し、翌月に柘勝樹(ベース)が加入。同年12月、JSA-Recordsによるオムニバスアルバム「MUSIC RAMBLE」に参加。YU-SAKU(ギター)が脱退し、ベーシストである柘勝樹がギタリストに転向。代わりにベーシストとしてryo-heyが加入。バンド名を「the Canadian Club」に改名。バンド名の正しい表記は、頭文字の"t"が小文字で"C"だけが大文字である。 2007年6月、柘勝樹が脱退し、3人編成として活動再開。各方面のライブハウスや関係者から、そのメロディックで叙情的な楽曲が認められ、kidd、MIMITTO、LACCO TOWER、URCHINFARM、ARU、EASYGRIP、MUSHA×KUSHA、FROG PILOT、chickenraceなど、インディーズからメジャーに至るまで、幅広いバンドとの競演を次々に果たし、着実に観客動員を増大させる。同年9月、ライブ会場限定音源として、3曲入りの2ndデモCDを発表。初回限定150枚が即完売。同年12月、ryo-heyが脱退。 2008年1月、サポートとして牧野(ベース)を迎え活動再開(後に正式加入)。同年3月、岐阜BRAVOにてkidd主催-LONGEST LINE-に参加、BIGMAMAと共演を果たす。同年4月、名古屋ミュージックファーム企画のオムニバスCD「メロっとけコアっとけ」の第二弾に参加。これが音楽プロデューサーの横井泰彦やロックバンド・風神のベーシストでありCLOUD RECORDS主宰者である榊原雄一の目に留まり、本格的に全国展開を目指すと同時に1stアルバムの制作に入る。同年10月、1stフルアルバム「symmetry」を発表。リリース前にも関わらず各CDショップに予約が殺到し、地元・中津川のCDショップでは発売から数週間足らずで数百枚を売り上げ、また、無名の新人バンドとしては異例のタワーレコード予約チャート上位にランクインを果たし、巷で話題となる〔oops! MUSIC COMMUNITY 関連ニュース にて掲載 (2008年10月16日付)〕〔bounce.com デイリーニュース にて掲載 (2008年10月16日付)〕。同年11月12日、1stアルバム発売により全国CDデビュー。タワーレコードのJ-Indiesチャートでは14位(最高位)を記録。また、これに伴う自身初となる全国ツアーを発表。ツアー初日である地元・中津川公演では初の自主企画と銘打ち、チケットはソールドアウト。地元情報誌の取材やFMラジオへの出演等を果たす。 2009年2月には名古屋ミュージックファームにて自身としては2度目となる自主企画イベント「ヨアケマエ」の開催を発表。2度目となる全国ツアーも発表。 2014年 大地利典脱退。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「The Canadian Club」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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